Home > Archives > 2013-12

2013-12

和の心

あちゃー、一年間ずっとほったらかしになっちゃってましたね、このblog。
皆さんお元気でしたか?

僕の方は相変わらずヒィヒィ言いながら合気道やってます。

いやあ、言い訳しちゃおうと思うんですけどね。こんなにほったらかしにしちゃったのをね。
こう、なんて言いますか、僕みたいのが合気道についてアレコレ言っちゃっていいものか、なんてことをね。
毎回思うわけですよ。

中にはいらっしゃいますよ。名刺に「武道家」なんて書いちゃう人とかね。
僕なんかはと・て・も・おこがましくって何かの加減でもし武道家なんて口走ったらその場で舌咬んで土下座しますけどもね。
「自分は武道家である」と。そういうふうに自分が何者であるかという確信をもって武道家と名乗り合気道なんかの武芸にいそしんでおられる方はいらっしゃいます。
そういう方々を良く知っているからこそ、武道・武術と言うはるか高い山のですね、裾野の端っこの田んぼのタニシくらいの僕程度のモンがヤレ合気道はこうなんだ、なんてことを語っていいものかと。

いっつもそんなふうに思っているわけですよ。
「自分はライダーだ。バイクに乗っていようがいまいが、自分はライダーとして生まれライダーとして生きている」
てなことは思っていました。速いとか遅いとか乗ってるとか乗ってないとかは関係ない、俺はライダーだ。と。
そう思ってはいましたが「自分は合気道家だ」なんていう確信はなんにもないわけですよ。

ところがですねえ。
夢に見ました。

合気道をやってる夢ですよ…

僕はバイクに乗ってる夢は見ますけど、合気道をやってる夢なんて見たこと無かった。
それがですねえ…

夢の中で、多人数相手にもみくちゃにされてるわけです。

チクショウ、技が出ねえ、さばけねえ
このやろう
せめて掴んで崩して間合いを
ああダンゴになっちまう、足でさばいて

てなところで目が覚めました。

目が覚めて
ああ。僕はどうやら合気道をやる人に、いよいよなったのだなあ、と。
田んぼのタニシでもなんでも、書かなくてはいけないのであろうなあと。
思ったのであります。

実は僕は合気道で言うところの「和の心」なんてものに関心はありませんでした。
スポーツをやるから、武道・武術をやるから心が養われるのだ、などという言い方なんてまるっきり信用していなかった。
今でも額面通り受け取っているわけではないのですけど。
最近、逆説的に和の心について考える機会がありましてね。

Twitterで、合気道クラスタのある人が女性向けの護身術の相手を探してたことがあったんです。
面白そうだし、時々Twitter上で見かける合気道家さんなので何か協力できないか、やろうとしてる場所はどこなのかと声をかけたんですよ。
そしたら何の返事も無く、他の人に自分の道場の男がどれほど受けがヘタで女の子の扱いがダメで役に立たないか延々と語ってるんです。僕向けの@もつけたままでね。
しばらく見てたんですけど、さすがに「協力できることは何もなさそうなので@は外してください」って失礼したんですけどね。

いやー、協力しなくて良かったです。
あれだけ自分の道場の若い人をクソミソに言ってるてことは、もし僕が参加して、かの合気道家さんの気に入らなかったらどんだけボロカス言われるでしょう。

てか、自分の道場の若いモンを指導できないから「受けがヘタで女の子の扱いがダメで役に立たない」わけですよね。
自分の道場の者を指導できないのに、どうして初心者の女の子を指導できるんでしょう。
何を教えるっていうんでしょう。

僕はそれまで合気道の教え、和の心なんてまともに受け取ってはいなかったんですが、なるほど、こういうことかと気づかされた印象的な出来事でした。

稽古相手に感謝せず、事あるごとに見下す言動をすれば、相手からの技も容赦はなくなるでしょう。
相手も指導を聞き入れず、上達もままならず乱暴な稽古になるでしょう。
結局その人の不満は、自分の至らなさの鏡だったんじゃないでしょうかね。
ましてや仲間内には不満を言い、他人を無視していては、協力者など現れないでしょうし、もし現れても成功はしなさそうです。
助けの手を振りほどいていることに気づかないんだから。

稽古っていうのは相手があってこそできるものなんですね。
僕は教わる時には先生に感謝し、人に教える時には見下さず、人に応じて加減のできるようになろうと思います。 それが自分が高まる近道なんでしょうね。

 

 

 

いつかやっつける合気道やれるようになりたいんですけどね!

Home > Archives > 2013-12

Search
Feeds
Meta

Return to page top